相談会考17 |
2002年7月2日発行 第12号 「聞こえの相談会」考4再びデシベルダウンについてデシベル・ダウンの問題については、前にもこの通信で、触れたことがある。再び、この問題を考えたい。というのは、「聞こえの相談会」をやってきて、いたるところで、この「デシベルのカベ」にぶちあたるからだ。単に、厳しすぎるという問題ではなく、「現実から遊離した、間違った基準」であるからだ。 問題は「障害の基準」だけではないが、とにかく、障害の基準から入ろう。 障害当事者や関係者はだれでも知っているように、日本では「1 両耳が70デシベル以上 2 一側耳の聴力90デシベル以上、他測耳の聴力50デシベル以上」がもっとも軽い障害の6級に該当する。4級「1 両耳の聴力80デシベル以上 2 両耳による普通話声の最良の語音明瞭度が50%以下」、3級「両耳の聴力レベルが90デシベル以上」、2級「両耳の聴力レベルがそれぞれ100デシベル以上」――となっている。 両耳70デシベル以上、というのは、この騒音社会では普通の仕事は続けられないレベルである。すでに、著しい生活障害で、何をもって「軽度障害」というのかわからない。相談会などでも、両耳70デシベル以上の人(70デシベルを少し越した人)はなかなか訪れない。会場まで出てくるのを躊躇する状態だからである。 相談会を訪れる人のなかで、いちばん多いレベルは50〜60デシベルの人たちで、「困った、困った」と言ってこられる。生活にゆとりのある方は問題ないが、高齢で年金生活の場合、せっかく相談会を訪れ、デジタル補聴器などの試聴で「良く聞こえる」となっても、補聴器の値段が高いので、購入できない場合が多い。また、若い人で60デシベルぐらいだと、正規の就職は難しいだろう。かえって、程度の重い障害の人の方が「障害者雇用枠」での採用ということになったりする。 それに、4級の「2 語音明瞭度50%以下」を例にとると、大雑把にいうと言葉の把握が50%以下に近いわけで、これだと、ほとんどコミュニケーションが成り立たない、と言って良い。コミュニケーションが成立しなければ、普通の社会生活を営むことは困難であり、「どこが中軽度障害なのか」と不思議に思う。 40デシベル、あるいは50デシベルぐらいから「障害」と考えた方が現実的である。70デシベルというのは高度の障害であり、80,90デシベルで重度の障害と言って良い。つまり、現実の騒音社会、情報氾濫社会での支障という点でみると、80〜90デシベルの人と100デシベル以上(ろう)の人では変わりなく、「同じように不自由している」のである。 だいたい、「耳もとで大きな声なら」などと、現実の社会でありえないような指針を出されても困るのである。「ささやき声、小さな声なら聞こえる」といっても、音のない世界を基準にしての話で、これも現実では探しようのない場面である。 20年ぶりに、(国際障害分類表)が改訂され、目に見える身体障害重視の考え方が転換されようとしている。現状では、これも知的障害、精神障害の面に傾きがちだが、それでも、この機をとらえて、デシベル・ダウンの運動を再開しようという機運もある。現行のデシベル基準の矛盾を、多くの人に知ってもらわないとならない。 つまり、聴覚障害に関しては、障害の基準を、コミュニケーションが成立するか否かに重点を置いて考えないといけない。いまの社会では、コミュニケーションが成立しなければ社会生活が成り立たないのである。人間を社会から切り離し、目に見える肉体的機能の損失云々という時代は終わったのであり、また、終わらせなければならばい。 |
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