相談会考17 |
2001年12月29日発行 第10号 「聞こえの相談会」考2深刻な周囲の「理解不足」前回に続いて、「ネット聞こえの相談会」をめぐって気のついたことを述べてみたい。前回9月末までで9回の相談会を開いたと書いたが、その後、11月に4回(泉大津1回、和泉市1回、堺市2回)、12月に3回(堺市2回、和泉市1回)開いているので、計16回、相談に訪れた人は350人を超えた。相談のパターンや課題、問題点がかなり明確に浮かび上がってきた。 これまで「聞こえ」の問題について、社会の理解不足があげられてきた。それは、具体的にいうと、一般社会というよりは、行政の理解不足であり、医師など関係者の理解不足であり、マスコミなどメディアの理解不足とされてきた。しかし、理解不足の根はもっと深いところにあることが、この相談会でいやというほど知らされた。 それは、聞こえの不自由なご本人を取り巻く家族の理解不足の問題である。最も身近にいる家族が理解せずに、だれが理解するというのか。ほんの一例だが、あるおじいちゃんが1人で相談にみえた。話を聞いてみると、聞こえの悪さを嘆き、少しでも聞こえが良くなる方法はないか、とかなり積極的である。高齢者の場合、補聴器が役立たないケースも多いが、このご老人の場合は、試聴の結果、なんとか、役立ちそうである。 で、日をあらためて、補聴器をご紹介しようと考えていたら、娘さんなる女性が電話で怒鳴り込んできて、驚いた。何を言っているのか、よくわからないほどわめき倒す。よく聞いてみると、うちのおじいちゃんには補聴器も何も役立たないから、いらぬおせっかいはするな、ということらしい。 そんなにおじいちゃんのことが心配なら、相談会に付き添ってきてくれたら良さそうなものなのに。同居もせず、悩みを聞いてもやらず、心配もせず、文句だけ言う。現代の家族状況を象徴するような1コマだった。 その娘さんにしても、別に悪意があって言ってきたわけではない。こういう世の中だから、おじいちゃんが騙されたのではないか、と誤解してのことである。こういうケース、配偶者や息子さんの無理解のケースより、娘さんや孫娘さん、とくに、家を出て、時折ふらっと顔を出すような娘さんのケースが圧倒的に多い、というのは、どうしたものだろうか。 もとより、NPOなる組織にも何の予備知識もない。要するに、無理解に過ぎないのだが、こちらは悲しくなってくる。いろいろ努力して、うまくいかなかった、というのならわかる。ずっとほうりっぱなしにしていて、どういうことだろうか。結局、そのご老人は不運にも対策から見放された。子どもさんやお孫さんの育て方を間違ったのだろう。 行政の場合、地域格差が大きい。地域によって、理解度にかなり差がみられる。大半の地域では積極的なご協力をいただいており、感謝している。しかし、なかには、そうもいかないケースもある。 あるお役所の小さな施設で、ちょっとしたトラブルがあった。こちらの相談会の趣旨を理解できず、何か、業者のそれと勘違いされて、クレームをつけてこられたのである。これもちょっとした誤解、認識不足に基づいている。 責任者には理解してもらい、話は通じているはずなのに、つい思いつきを口にし、「私は聞いていない」という。これも、トラブルのひとつのパターンである。 もともと、相談に訪れる人の大半は高齢者である。高齢社会を迎えて、「高齢者のきこえの」の問題はたいへん大きな課題である。本来、行政も何らかのかたちで検討すべき課題なのである。それを、欠点だらけの介護保険で事足りる、とするのが怠慢であり、間違いである。 にもかかわらず、自分が第三者の監督者のような顔をして、思いつきだけでクレームをつける、というのは、感心しない。話せばわかることだから、すぐ誤解は解けたものの、ボランティア活動に精を出している私たちには大きな落胆だった。お役所の影響力は大きいので、もう少し社会のことを勉強していただきたい。 今回は辛口の文句ばかりになったが、脳腫瘍手術後の難聴と闘っている娘さんに、何とか手を差し伸べられそうだし、ほかにも、たくさんの人から感謝の声が届いている。 さらに親切に、さらに技術をみがき、聞こえの悩みで訪れた人たちの役に立てるよう、努力していきたい。 |
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